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      <title>日本の陶器・磁器</title>
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         <title>焼き物の部分の名称</title>
         <description>日本の陶器には、地域によって素材や模様、形に特徴があって興味深いものですが、その焼き物の部分名を覚えることで、さらに興味がわくことと思います。

例えば日本の陶器市にでかけ展覧会などで器を観賞するときに、部分の名称がわからないと、係の人や一緒に行った仲間との話も要領を得なくなってしまいます。

そこで、ここでは茶碗を例にとって各部分の名称についてお話したいと思います。

まず口をつけるところを「口」もしくは「口縁（こうえん）」と言います。

外側は「胴」で底近くが「腰」、腰のすぐ下で底へ向かって曲がっているところが「高台脇（こうだいわき）」、底のでっぱりにくっついている部分が「高台際（こうだいぎわ）」です。

中のお茶が入る部分は「見込み」、底のお茶が溜まるところは「茶溜まり」です。

茶碗の下の部分には丸い底がついている場合が多いのですが、これは「高台」と言います。

ひっくり返して底部分の輪の中を「高台内（こうだいうち）」、高台の接地部分を「畳付き」と言います。

お抹茶をいただくお茶会などでは、茶碗を畳に置きますよね。

そのため茶碗の一番底にこの名前が付いたと言われています。

高台の模様などにそれぞれの焼き物の特徴があらわれていることも多いので、茶碗を手にとって各部分を眺めてどこの焼き物なのかを判別できるようになると、ベテランですね。

また茶碗だけでなく壺や瓶（かめ）にも各部分に名称があります。

上から口、頸、肩、胴、腰ときます。

物を入れておく部分が胴になるわけですが、その壺の形によって胴長のものもあれば、胴が短いものもあります。


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         <pubDate>Sun, 01 Mar 2009 20:18:26 +0900</pubDate>
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         <title>益子焼</title>
         <description>日本の陶器をたずねてその地を旅したことはありますか？

関東屈指の窯場である益子では、町の中に焼き物の販売店はもちろん資料館や公園も存在し、陶郷としての姿を見せて旅人を楽しませてくれています。

その益子の焼き物、益子焼と言えば、厚手でどっしりとした茶碗や皿が思い出されるのではないでしょうか。

益子焼の特徴は、民芸調と言われ鮮やかな色彩や細やかな図柄もなく、地味で飾り気のない素朴な色合いとなっています。

窯を開いた当初から、皿や壺、茶碗といったお茶の間で使われる日用雑貨を中心に焼かれてきました。
毎日の生活に密着した焼き物なのです。

日本の陶器にはそれぞれの代表作のようなものがありますが、益子焼では側面にのびやかな筆運びで山水などが描かれた土瓶が代表となっています。

益子焼の一番の特徴とされる、厚手でどっしりとした手ざわりは、栃木県内から出土する新福寺粘土などの気泡性を持つ荒い陶土に木節粘土を加えた土によるものです。

釉薬には木や石を原料にした自然釉が用いられ、特に透明な色合いの並白釉（なみじろゆう）や乳白色の糠白釉がかけられることが多いです。

他には地元特産の芦沼石を原料にした茶褐色の柿釉（かきゆう）や黒釉（こくゆう）などもあります。

装飾技法としては、釉薬をほどこした器の表面に刷毛を使って化粧土をかける刷毛目や、指で簡単な模様を描く指描などがあります。

また鉄や銅などを用いて土瓶や茶碗に山水や植物を描く、鉄絵や赤絵なども益子焼の特徴のひとつとなっています。


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         <pubDate>Sun, 01 Mar 2009 20:17:43 +0900</pubDate>
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         <title>織部焼</title>
         <description>日本の陶器には、聞き慣れた有田焼や瀬戸焼などがありますが、それらと並んで織部焼という名前もよく聞くのではないでしょうか。

織部焼とは美濃焼を代表する焼き物のひとつで、発展した土地の名前ではなく、茶人であった古田織部の好みによって作られた焼き物の総称です。

古田織部は茶人、千利休の高弟で、戦国武将でもありました。

織部焼は、日本の陶器の中では珍しく、幾何学模様などの趣向を凝らした文様や大胆奇抜な形が特徴です。

これは器を作る成型方法が従来どおりの手びねりやろくろ成型ではなく、型打ち成型という方法によるもので、これにより扇形や六角形など自由な形の器が作られます。

また茶碗や花生けの形にも、わざとへこみや歪みを加えているものもあります。

そして自由奔放な形の器を彩るのが、織部釉と呼ばれる青緑色をした美しい釉薬です。

この独特な美しい色合いは、灰釉に酸化銅を加えた銅緑釉によってかもしだされます。

また、木型や石膏などの型押しで素地の上に模様をつける印花（いんか）や、素地の上に鬼板絵の具などで文様を描く、鉄絵の装飾技法などもあります。

同じ織部の中でもこのような装飾技法の違いによって呼び名が分けられ、特に代表的なのが、総織部と青織部、鳴海織部です。

総織部は器の底以外の全面に織部釉を掛けて、彫りや印花などで文様を施したものです。

青織部は、器の一部に青緑色の織部釉と白い長石釉を掛けて、白釉の部分に鬼板絵の具で鉄絵を描いたものです。

鳴海織部とは、白土と赤土をつないで作った焼き物で、白土の部分に織部釉を掛け、赤土の部分に白泥を施しその上に鬼板絵の具で線描きをしたものです。


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         <pubDate>Sun, 01 Mar 2009 20:16:27 +0900</pubDate>
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         <title>備前焼</title>
         <description>数ある日本の陶器の中でも、焼き物の原点とも言える魅力を持っている備前焼、それは釉薬を使わずに焼き締めるという技法を１０００年もの間、守り通してきたためでしょう。

備前焼に使われる土は耐火度が低いため、急激な温度変化を受けると破損しやすいという性質を持っていました。

そこで、焼成にはじっくり時間をかけ、少しずつ薪を増やしながら温度を上げていく、という技法が生まれました。

このようにして、釉薬を使わず、念入りに高温で焼き上げた器は、華やかさこそないが、素朴な土味と落ち着いたしぶみが感じられます。

地味でありながらも備前焼が根強い人気を誇っているのは、やはり土をこねて作る、という焼き物の原点というべき魅力にささえられているからなのでしょう。

備前焼特有の装飾に「窯変（ようへん）」があります。

窯変とは、器が灰に埋もれたり、器同士がくっついてしまったりしてできる、いわば窯の中のアクシデントによる偶然の美しさのことです。

日本の陶器には施釉や絵付けにその特徴を見出せるものが多くありますが、備前焼の陶工は絵付けではなく窯変にエネルギーを発揮しました。

窯の中で灰が器に降りかかってできる自然釉は他の焼き物にもよく見られますが、これも窯変に含まれます。

備前焼では特に斑点状のものを「胡麻」と呼んで珍重します。

また火の近くに置いたために灰の量が多く、溶けて流れたものを「玉だれ」と呼びます。

ほかに「緋襷（ひだすき）」と言って、器と器がくっつかないようにワラを挟んだ部分が赤く焼け上がったものもあります。

器同士がくっついた部分が赤く染まるものは「牡丹餅（ぼたもち）」と呼ばれます。

もともとはアクシデントによってできた装飾だったが、その偶然に着目した陶工たちは、わざとワラを巻いたり、器を火の近くに置いたりと計算して窯変を生み出すようになりました。

しかしいくら計算をして装飾を施そうとしても、やはり偶然の要素がつきまとうのがまた窯変の魅力といってもよいでしょう。

岡山県の備前焼伝統産業会館周辺では、毎年１０月に備前焼まつりが行なわれています。

ぜひお出かけになってみてください。


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         <pubDate>Sun, 01 Mar 2009 20:15:34 +0900</pubDate>
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         <title>焼き物の種類</title>
         <description>あなたは焼き物に興味がありますか？

焼き物と聞くと、「なんだか難しそう」「良さがいまひとつ分からない」と敬遠してしまう人もいるかもしれませんね。

日本の陶器には「○○焼」と呼ばれるたくさんの焼き物があり、ときにものすごく高額な値段で販売されているため、一歩引いてしまうのも仕方ないかもしれません。

でも、普段の暮らしの中をよく見回してみると、焼き物に触れない日はないくらい、私たちの身の回りには焼き物があふれています。

毎日の食事に使うお茶碗や湯のみ、コーヒーカップ、それに食器に限らずお風呂のタイルやトイレの便器、庭に出れば植木鉢などなど・・・

焼き物で出来ているものは、意外に身近に存在しているのです。

さてこれら焼き物ですが、大きく分けると土器、陶器、磁器、石器の４つに分類されます。

また、これら焼き物を全般に陶器と呼ぶこともあります。

日本の陶器には産地によっていろいろな焼き物がありますが、それぞれの特徴は以下の通りです。

土器は縄文・弥生時代から始まった焼き物のことで、粘土を原料として比較的低温で焼かれ、もろく壊れやすいです。

また吸水性がある上、普通は釉薬などをかけないので、水などを入れておくのにはむきません。

現在目にするもので言うと、植木鉢などがあります。

陶器も粘土を主原料とした焼き物ですが、こちらは釉薬を用いて器の表面にガラス質の層を作ることで水漏れを防いでいます。

陶器は磁器に比べてもろいため、厚手のものが多く、指ではじくと鈍い音がします。

代表的なものは益子焼や唐津焼、美濃焼などです。

磁器は陶石が原料の磁土でできた焼き物で、焼き上がりが硬く、薄手で繊細な器に仕上げることができます。

素地が白く、透光性があります。

代表的なものに九谷焼、有田焼、砥部焼などがあります。

石器は陶器と磁器の間の性質を持っており、備前焼、信楽焼、伊賀焼などの焼締がそれに当たります。


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         <pubDate>Sun, 01 Mar 2009 20:14:35 +0900</pubDate>
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         <title>瀬戸焼</title>
         <description>焼き物全般のことを「せともの」と呼んでいる人はいますか？

いまや「せともの」の呼び名で日本の食器の代名詞ともなっているのが、愛知県瀬戸市で焼かれる瀬戸焼です。

昔から、瀬戸市一帯は窯業が盛んな地域であったようで、瀬戸という地名も「陶都（すえと）」から転じて「せと」になったとも言われています。

現在でもこの辺りは日本の陶器を代表する一大窯業地帯となっています。

しかしながら、これほどにまで有名な瀬戸焼ですが、現在の瀬戸焼では一部の茶器を除くとこれといった特徴があまりないのが実際のようです。

逆に言えば、古典的な焼き締めの壺から、素朴な化粧土がほどこされた花瓶や民芸調の絵が描かれた皿などの陶器に至るまで、種類が豊富なことで日本の陶器のスタイルを一度に楽しめる、という点が特徴なのかもしれません。

瀬戸焼の代表である磁器は、１９世紀の初め頃、磁祖と呼ばれる加藤民吉（かとうたみきち）によって創始されたものです。

有田焼とはまた違った独特のぬくもりを備えており、やがて絵付けの技術も発達してさまざまに展開し、日本の焼き物界で一世を風靡しました。

落ち着きのある白磁や気品に満ちた染付けや上絵は大変魅力的なものですが、瀬戸焼の人気が高まったことで大量生産の道を歩むこととなり、作品としての特徴をやや失ってしまった、という感があるのも否めません。

しかし奇抜な特徴がなく、一般的で丈夫で飽きが来ないという点では、日常使いのの食器としてはもっとも理想的であると言えるでしょう。


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         <pubDate>Sun, 01 Mar 2009 20:13:48 +0900</pubDate>
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         <title>京焼・清水焼</title>
         <description>日本の陶器の名前は、その焼かれている地域にちなんで付けられることがほとんどですが、京焼も京都で焼かれたものを示して呼んでいます。

その中でも清水焼以外を京焼と呼ぶこともあるようですが、広い意味ではすべてを含みます。

京都の焼き物、と聞くと、どのようなものを想像するでしょうか。

おそらく京都のイメージに合った、洗練された美しい器などを思い浮かべると思いますが、それでおおかた間違いありません。

京焼の特徴は、技術と技法の多様性、華麗な美しさにあります。

京焼きには、色絵陶器から染付け磁器、青磁、白磁、金襴手、さらには中国風、朝鮮風、瀬戸風、信楽風、美濃風、など、まるで日本の陶器を一堂に集めたかのように全てが揃っています。

それは、長い間、日本の文化の中心を担ってきたことで、日本から焼き物に関するあらゆる技術や作品が京の都に流れ込んできたためと考えられます。

地方の窯業地帯では、どうしても独自の技術に頼る部分が多大にあったのに対し、京都の陶工は幅広い技術や感覚に接することができました。

そして今日の総合的な京焼の美しさにつながっているのです。

現在、京焼はその作風を特定しにくい、とも言われますが、京焼の最大の魅力はやはり華麗な色絵と染付けでしょう。

江戸時代の名工、野々村仁清（にんせい）に始まり、のちの名工たちが磨き上げてきたその趣向は、今も京焼のなかに息づいています。

清水詣でに出かける機会があったら、清水寺へ続く坂道の途中で陶磁器みやげを探してみてはどうでしょうか。


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         <pubDate>Sun, 01 Mar 2009 20:11:55 +0900</pubDate>
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         <title>美濃焼</title>
         <description>数ある日本の陶器の文化に多大な影響を与えたと言われる美濃焼ですが、実は、昭和のはじめに野焼き陶片が発見されるまでは瀬戸焼の影に隠れていた焼き物でした。

陶芸家であり人間国宝でもある荒川豊蔵氏が、昭和の初め頃に大萱（おおがや）の牟田洞窯（むたぼらがま）で絵志野の陶片を発見したことが、現在の美濃焼を確固たる存在にしたと言われています。

それまでは志野をはじめとする茶陶の多くが瀬戸で焼かれていたとされていました。

現在では志野や織部が美濃焼を代表する焼き物であるというのは常識的に知られていることですが、この発見以前の名残として瀬戸黒や黄瀬戸の名称が残っているのです。

さて、この茶陶の歴史をくつがえす出来事となった主役の志野ですが、志野とはどのような焼き物でしょうか。

志野は蛙目粘土の一種で粘りが弱く、焼きあがると軽くなるもぐさ土で焼かれており、日本の陶器の中で初めて絵が描けたものです。

志野の特徴のひとつであるゆず肌は白い長石釉によってでき、器表面の細かい穴が温かい雰囲気をかもし出します。

また白い肌のところどころに素地から自然ににじみ出ている緋色が、器全体をあたたかくやわらかな雰囲気で包み込むようです。

多くの茶人に愛されてきた志野の中でも、絵志野と鼠志野は代表的な一品です。

絵志野とは志野独特の白いゆず肌の器の表面に、鉄絵と呼ばれる文様を鉄釉の一種、鬼板絵の具で描いたものです。

鼠志野とは、おなじ志野でも絵志野とは趣が異なるもので、器の表面全体に鬼板絵の具を溶かした泥漿（でいしょう）で鉄化粧をほどこし、ヘラなどで模様を掻き起こしたものです。

日本の陶器を代表する美濃焼を語る上で、志野は欠かせない存在でしょう。


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         <pubDate>Sun, 01 Mar 2009 20:11:08 +0900</pubDate>
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         <title>渋草焼</title>
         <description>渋草焼の故郷である岐阜県高山市は、その昔、徳川幕府直轄の天領地として繁栄した町です。

また、飛騨山中の木材の集積地としても大変に栄えていました。

現在でも日本全国から観光客の集まる高山祭りでは、豪華な山車などに当時の繁栄ぶりをうかがうことができます。

日本の陶器を扱う町にはそれぞれの特徴がありますが、ここ高山市を代表する渋草焼も、高山の豪勢な町人文化の中から生まれた焼き物と言えます。

渋草焼の特徴として挙げられるのは、地元で採れる特産の渋草陶石を主原料とした透明感のある磁器と、飛騨の山から採れる土を使った陶器の２種類があることでしょうか。

渋草焼で扱われる磁器では、青白く光沢のある素地に、美しい染付けや赤絵が描かれており、食器や装飾品など高級感のただよう器となっています。

渋草特有の絵付けも、その特徴となっており、透き通るような青白い時期には呉須（ごす）で描いたザクロ文様や唐草文様などの「渋草調」と呼ばれる染付けや赤絵の装飾が施されています。

この赤絵は、陶器の方にも描かれますが、こちらは土味を生かしたしぶい雰囲気のものが多く、花器や茶器が中心となっています。

陶器に描かれる赤絵の方は、九谷の陶工に影響を受けたと思われる絵柄が多く、花をモチーフにしたものや子どもなどの人物紋様が描かれています。
土色をいかしているため、絵柄の色も落ち着いたしぶめの感じになっています。

日本の陶器にあまり興味がない人でも、旅行の好きな人なら高山という観光地を訪れる機会が一度はあるかもしれません。
そのときにはぜひ、歴史ある高山の町で生まれた渋草焼を手にして触れてみてください。</description>
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         <pubDate>Tue, 14 Oct 2008 00:56:01 +0900</pubDate>
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         <title>平清水焼</title>
         <description>日本の陶器の中でも東北地方の焼き物は素朴でどこかしら土臭い印象のものが多いのですが、平清水焼は東北には珍しく洗練された色合いと独特な肌触りが特徴となっています。
平清水焼は山形県山形市平清水の大地主が、笠間焼の陶工である小野藤次平を招いて地元の土を使って陶器を焼かせたのが始まりと言われています。
江戸時代の後半からは伊藤藤十郎や渡辺五兵衛らにより、それまで粗陶器が中心だったところに磁器を焼くようになってきました。

美しい磁器の生産に成功した平清水焼は、白地に青色の絵付けをした皿や茶器、酒器など食器類を盛んに作るようになり、一時は数ある日本の陶器の中でも「焼き物と言えば有田か平清水」と言われるほどの称賛を浴びていました。
しかし時代が明治から大正に移るころには陶器が中心となり、火鉢やかめ、徳利などが焼かれるようになりました。
器の色も、透明感にあふれた白地から、鉄釉を主体にした茶色に変わっていきました。

さて平清水焼の特徴として挙げられるのは、何と言っても「梨青瓷（なしせいじ）」でしょう。
これは青緑色の器の表面に梨肌のような黄色の斑点が浮き上がっているもので、そのザラザラとした感触と、一般的な青磁とは異なった落ち着いた色合いが魅力となっています。
また梨青瓷と並んで平清水焼の特徴とされているのが「残雪」と呼ばれる釉薬です。
この残雪釉は平清水を代表する釉薬のひとつで、艶消しの白釉によるものです。
釉薬のかかり具合によって水墨画のようなきれいな濃淡があらわれることもあり、上品で端正な器の形をいっそうひきたててくれます。
雪国である山形県にふさわしいネーミングですよね。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:15 +0900</pubDate>
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         <title>小久慈焼</title>
         <description>数ある日本の陶器の中から、ここでは東北の焼き物、小久慈焼を紹介したいと思います。
素朴な土臭さを残している小久慈焼は、江戸時代の後半に岩手県久慈市で開窯したと言われています。
当初は久慈焼と呼ばれていたのですが、良質な粘土がとれる小久慈に窯を移してから小久慈焼と呼ばれるようになったそうです。

小久慈焼は、そのしぶみと素朴さを持つ釉薬が認められて、八戸藩の御用窯を務めていました。
しかし時代は流れ、明治時代に八戸藩からの援助もとだえてしまうと、藩窯から民窯へとその形を変えて行ったのです。

小久慈焼の印象として言えることは、有田焼や久谷焼のような装飾品としての華やかさはありませんが、素朴で温かみのある焼き物であるということです。
地元の久慈周辺から出土する久慈粘土や、小久慈白土などの陶土を生かして作られた焼き物は、まるで東北女性の肌のように白っぽい土味を見せてくれます。
小久慈焼は伝統的なろくろ成形でひとつひとつ手作りで、鉄釉や飴釉などの茶色の釉薬と、もみ殻の灰を利用した糠白釉（こうはくゆう）と呼ばれる乳白色の釉薬が施されます。
どっしりとした厚手の器に趣のある釉薬がたっぷりとかけられたその姿は、朴訥とした東北人の気質をあらわしているようにも感じられます。
日本の陶器にはいろいろありますが、その印象も土地柄をあらわしているのですね。

また小久慈焼では主にほのぼのとした趣のある茶器や花器、酒器から、ぼってりとした量感のある片口やすり鉢といった日常雑貨が中心となっています。
人々の生活に密着した焼き物と言えるかもしれません。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:15 +0900</pubDate>
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         <title>器選び</title>
         <description>皆さんは家庭の食器を選ぶとき、どんな点に注目して購入を決めていますか？
今や百円ショップでもお茶碗が買える時代ですが、数ある日本の陶器の中からこだわりの逸品を手に入れるべく、あちらこちらへと探し求める人もいることでしょう。
日本の陶器市などが開催されていれば、そちらへ出かけてみるのもお値打ちな掘り出し物と出会えるかもしれませんね。

さて、食器を選ぶときのいくつかのポイントをここで紹介したいと思います。
まず、おしゃれな雰囲気にこだわらず多目的に使えて飽きのこないシンプルなデザインのものから揃えることをおすすめします。
使い道も考え、熱いものを盛り付けるなら磁器よりは陶器、など用途に合わせて選ぶことも大切です。
始めは形や模様がシンプルなものを使い、しだいに趣の凝ったものを揃えていくことで、楽しみも増えていきます。
次に家族に合わせた器選びをすることです。
小さな子どもがいる家庭では、実用面を重視して選びたいですし、お年寄りには重い器は避けたいところです。
また、家族全員が同じ器でなくてもいいと思います。
大きさがほぼ揃っていて、それぞれに味わいがある器なら、わざわざ５客セットの器を買うより楽しい趣向になるでしょう。
実際に購入するときには、ぜひ両手でその器を持って重みや硬さ、手ざわりの良し悪しを感じてください。
裏返して見て、器の安定感も確認しましょう。

いい食器を選ぶには、焼き物を好きになり、それぞれの特色を知った上でたくさんの器を見て回り、目を養うことです。
和食器の専門店を回って情報収集したり、趣味の合う仲間と陶器市に出かけたりして、楽しく器選びをしてください。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:15 +0900</pubDate>
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         <title>焼き物の原料</title>
         <description>日本の陶器にはいろいろなものがありますが、有名なものであれば、誰でもその名前を聞いたことがあるでしょう。
それぞれの特徴は知らなくても、これらの焼き物が何で出来ているのかは大体予想がつくと思います。
そうです、焼き物は土を原料として作られています。

焼き物の原料となる土には、粘土と陶石があり、粘土は陶器を作るために使われ、陶石は磁器を作るための原料となります。
●粘土
　粘土は陶器をつくるための陶土に使われます。
　しかし粘土はそれだけで作ると、乾かしたり焼いたりするときに大きく収縮してひび割れたりゆがんでしまうことが多くあります。
　それらの欠点を補うために、珪石（けいせき）と長石（ちょうせき）を混ぜて使います。
　珪石は土の粘り気を調整する役割を持ち、長石は１０００度以上の高温で周囲の成分を溶かしてガラスを作ります。
●陶石
　陶石は磁器を作るための磁土の原料となります。
　主成分は珪酸（けいさん）で、これは白磁鉱と呼ばれる石英粗面岩（せきえいそめんがん）を微粒子状態にまで砕いた白い粉状のものです。
　しかし主成分である珪酸が、成形した形を維持する性質を邪魔してしまうため、これに良質の粘土を混ぜて使います。
　ただ、数ある日本の陶器・磁器の中には、粘土を混ぜなくても磁器の原料として適しているものもあり、それが熊本県の天草石です。

また、焼き物全般を広い意味で陶器と呼ぶのと同じように、焼き物作り用に調整した土のことを単に粘土と呼ぶこともあります。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:15 +0900</pubDate>
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         <title>有田焼・伊万里焼</title>
         <description>数ある日本の陶器を語る上で、これは外せないでしょう、というのが佐賀県の有田焼です。
有田焼は誰もが聞いたことのある、また見たことのある焼き物ではないでしょうか。
瀬戸と並んで磁器生産のメッカとも言われる有田は、日本から海外へ「文化」を輸出した数少ない窯場です。

江戸時代、華やかな色絵を施してある有田焼が話題となり、盛んにヨーロッパに輸出されていました。
その頃のものは「古伊万里」と呼ばれ、現在の有田焼の一主流となっています。
古伊万里の様式を代表するのは「染錦（そめにしき）」と呼ばれる装飾法で、染付けの上に赤や緑、黄、青などの絵の具で色絵をつけ、さらに金彩、銀彩を加えたものです。
器の表面を絵柄が埋め尽くし、色使いは華麗で多彩、まさに豪華絢爛の焼き物です。
ヨーロッパの貴族文化の中にも歓迎されたというのも納得できます。

古伊万里の名工として酒井田柿右衛門（さかいだかきえもん）がいますが、柿右衛門は古伊万里様式よりさらに優雅な「柿右衛門様式」という装飾法をあみ出しました。
その器肌は「濁手（にごしで）」といって透明度を抑えた独特の乳白色をしています。
このやわらかい白を完成させたことによって、上にのせる色絵とのバランスがさらによくなりました。
絵のモチーフには、花、竹、紅葉、鳥、鹿などを用い、構図も日本画的なものが目立ちます。
絵の具は赤を基調とし、群青、青緑、赤さびの４色を基本としています。
柿右衛門様式はヨーロッパの窯でも模倣されるほど、一世を風靡していました。

ところで日本の陶器の中では有田焼という名称も伊万里焼という名称もどちらもよく浸透していますが、この２つが混同している人も中にはいるかと思います。
ときに、有田焼のことを伊万里焼と呼ぶこともあります。
しかし、現在、佐賀県伊万里市にも窯はありますが、もともと有田で生まれた焼き物なので、本質的には有田焼と呼ぶのが正しいように思います。
２つが混同してしまう原因のひとつとして、山里である有田に対して伊万里には港があったため、有田焼が伊万里の港を介して各地へ運ばれ伊万里焼と呼ばれるようになった、という話もあります。
特に海外では、細かい事情にはあまりこだわらず、単に「イマリ」と呼んで親しんでいたようです。

現在では有田地区で焼かれたものを有田焼、伊万里地区で焼かれたものを伊万里焼と呼ぶ分け方が一般的となっているようです。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>唐津焼</title>
         <description>日本の陶器の中には海外からの影響を受けて発展していったものもありますが、佐賀県の唐津では地理的に朝鮮との交流が深かったことから、朝鮮写しの器が焼かれ、それによって唐津焼の基礎ができたと言われます。
また、愛知の瀬戸焼が「せともの」と呼ばれているように、西日本では陶磁器の代名詞として「からつもの」と言われるほど唐津焼は大変に普及していました。

さて、朝鮮の影響を受けて陶磁器の代名詞となるほどにまで普及した唐津焼とはどんな焼き物なのでしょうか。
唐津焼には「砂目」という土がよく使われますが、これは砂を含んでいるというわけではなく、生地が粗いことを意味します。
そのため器肌はざらついた感じになってしまうので、唐津焼では釉薬を比較的多めに施します。
それで全体の質感が土らしいしぶみを備えたものになります。
また唐津焼の特徴として朝鮮の陶工によって使えられ開発された絵付けや釉薬使いがあります。
以下にいくつかの表現技法を紹介します。
●絵唐津
　草、木、花、鳥、人物などの絵を酸化鉄質の釉で描いたもので、単純素朴なタッチのものが目立ちます。
　焼き上げると描いた線は茶褐色になり、鈍色の器肌にできた影のようで味わい深いものです。
●斑唐津
　白く焼き上げられた器肌に青や黒の斑がポツポツとあらわれたもので、わら灰釉などが熱で透明感を失い、白くなるという作用を利用しています。
●朝鮮唐津
　わら灰釉の白と鉄釉の黒く焼ける作用をともに用いたもので、鉄釉を下地にして、上からわら灰釉を流します。
　上から掛け流した白が無造作に流れ落ちる様子は、茶の世界では「景色（けしき）」と呼ばれ、器を観賞する際のひとつのポイントとなっています。
　日本の陶器（茶陶）を観賞する機会がある時には、この「景色」も楽しんで見るとよいですね。
●三島唐津
　朝鮮の李朝の技法をそのままに伝えるものです。
　器が半乾きのうちに木型や刷毛で紋様を描き、化粧土を塗ったあと、削り仕上げ、または拭き取り仕上げで紋様を浮かび出させたものです。

この他にも、二彩唐津、粉引唐津、黒唐津など、唐津焼は実に多彩です。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>萩焼</title>
         <description>茶の湯の世界のわびさびなどはよくわからない、という人も多いと思います。
しかし日本の陶器を見ようと思うと、茶の湯の世界とは切っても切り離せないものがたくさんあります。
山口県に生まれた萩焼も、あかぬけしない、ぽてっとしたもたつきに親しみが感じられ、茶人たちに好まれる焼き物です。

萩焼のぬくもりある器肌は、土のあたたかみをそのまま伝え、ぼてっと分厚い印象ながら手に持つと意外に軽く、しっくり手になじむ柔らかさを備えています。
この感触は、大道土（だぢどうつち）という砂礫雑じりの浸透性に富んだ陶土の性質によるところが大きいでしょう。
また萩焼では登り窯で時間をかけて比較的低めの温度でゆっくり焼き上げるため、焼き締め度合いが弱く、なんとなく土の柔らかさを残したような焼き上がりになります。
それと同時に、一般の焼き物に比べて吸水性が高いのも特徴です。
萩焼をよく見ると、表面にこまかいひび（貫入）がたくさん入っています。
萩焼の茶碗などを長く使っていると、このひびから茶がしみ込み、器の肌色を微妙に変えたり、雨漏りのようなシミができたりします。
ひとつの器を長く大切に使うことで色艶が次第に変化し、独特の雰囲気をかもしだすことを「茶慣れ」「萩の七化け」などと呼ぶそうです。

日本の陶器が並ぶ中、萩焼の名陶として肌色の茶碗がぽつんと置かれているだけで、いかにも飾り気がないのも萩焼の特徴です。
粘土をぽっくりとかきとって、そのまま焼いたような素朴さが、飽きの来ない器として高い人気を得ているのでしょう。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>赤膚焼</title>
         <description>日本の陶器には、有田焼や九谷焼のように独特の作風で区別されるものもありますが、奈良県の赤膚焼（あかはだやき）は作風の違いによって区別されるのではなく、原料の土の産地が同じならこの名前で呼ばれています。
赤膚焼の土は鉄分を多く含んでいるため、焼きあがると器肌がほんのり赤くそまります。
そこから赤膚焼と呼ばれるようになった、と言われていますが、もう一説、奈良県の五条山がかつては赤膚山と呼ばれていたから、とも言われています。

赤膚焼を特定するような作風をはっきりさせるのは難しいのですが、もっともポピュラーなものは萩釉（はぎゆう）に奈良絵をほどこしたものでしょう。
萩釉は萩焼から伝わったものといわれ、もったりと器全体を覆う乳白色が、素地のほんのりとした赤みとよくマッチしています。
奈良絵というのは、赤、黄、緑などの明るい色で、人物や家、鳥居、鹿などをユーモラスなタッチで描くものです。
もともと奈良絵はお釈迦様の前世や現世を絵物語であらわしたものですが、赤膚焼の器の上では、かわいらしい絵として描かれています。

また、萩釉と奈良絵を用いた焼き物以外には、並釉（なみゆう）、黒釉、なまこ釉などを使い、絵付けのないものもあれば幾何学模様を施したものもあります。
現在、赤膚焼を焼いている窯も、それぞれに独自の工夫を加えており、赤膚焼に対する主張も灰釉を用いることであったり奈良絵を施すことであったり、赤膚でできたものはすべて赤膚焼だ、という考えであったりとさまざまです。
しかし、やはり特徴的なかわいらしい奈良絵が、日本の陶器の中でも赤膚焼ファンを集めている大きな要因となっているのは間違いなさそうです。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>信楽焼</title>
         <description>誰もが見たことのあるたぬきの置物、これも立派な焼き物です。
日本の陶器市などにでかけても、かわいらしく愛嬌のある表情で店先を行く人の心を和ませているたぬき君たちですが、彼らのふるさとは滋賀県信楽町にあります。
信楽町は滋賀県の最南部に位置し、緑豊かな山林地帯が広がっています。
そこに自生するアカマツが陶器の焼成に使う焚き木として適していたことも、この地域を焼き物の町として発展させたひとつの要因と言えるでしょう。

この信楽の地で採れる土には粘りがあって腰が強く、高温にも強いため、小さくて精巧なものから大きくて丈夫なものまで、じつに信楽焼は幅が広く、多種多様に焼かれています。
またこの粘土には長石や石英などが多量に含まれるため、これが焼成時に器の表面に吹き出して、信楽独特の白いぶつぶつした肌合いの器が出来上がります。
全体的に粗い素朴な感じがするのは、陶土を水で漉して細かいものだけを残す、という処理を行なわないためです。
これも信楽焼の製法のひとつの特徴と言えます。

現在の信楽焼では、傘立てや食器、置き物、植木鉢、タイルなど、ジャンルにこだわらずに焼かれ、常に人々の生活とともに生きてきた焼き物であることが伺えます。
小石の吹き出した土肌、のびのびとした形、高温で焼くことでできる自然釉の風合い、など、素朴で平凡であるがゆえにその魅力にはまってしまう陶器好きも多いと聞きます。

日本の陶器の産地をめぐる旅も楽しいものです。
信楽の町に出かけると、あらゆる場所で焼き物を目にすることができます。
この町には人よりたぬきの方が多いのではないか、という話も出るほど、どこの窯を訪ねてもたぬきがわんさかいて、旅する人を温かく迎えてくれます。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>越前焼</title>
         <description>越前と聞いて思い浮かぶのは、荒々しい波の立つ日本海に、カニなどのおいしい海の幸。
そして忘れてならないのが越前焼です。
ここ福井県にある越前焼の窯は、いわゆる六古窯のひとつになっているのです。
数ある日本の陶器の中でも、よく知られた名前ですよね。

日本の陶器はそれぞれに地域ごとの特色があり、地元の風土や人柄までも表現しているものがあります。
この越前焼でも陶土はすべて地元産の土でまかなっており、冬の厳しさに耐え抜く腰の強さが器にもあらわれています。
越前の土はガラス質を多く含んだ独特のもので、釉薬が乗りにくい性質を持っています。
通常の陶器であれば、釉薬を掛けないと水漏れしやすいなどの欠点が出てきてしまうのですが、越前の土を使って焼くと高温焼成によってガラス質が隙間を埋め、硬く緻密に焼き上がります。
そのため、釉薬を使わず１３００度以上の高温で焼き締めるスタイルが、創始以来の越前焼の基本形となっています。

土の腰の強さと並んで越前焼の特徴とされるのが、紐づくりと呼ばれる成形法です。
人の腕ほどの太さがあるひも状の土を肩にかついで、土台の周りを回ってぐるりと巻きながら器を形作っていきます。
昔ながらのこの手法を守り続けている人として、藤田重良右衛門（じゅうろうえもん）氏がよく知られています。

最近では食器も多く作られ、若い人にもなじみがあるであろうビアマグは、ヒットを呼びました。
越前焼特有のざらざらとした肌合いのビアマグにビールを注ぐと、泡のキメが細かくなりクリーミーな泡が長持ちするようです。
越前焼に、そしておいしくビールを飲む方法に興味がある人は、一度お試しください。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>九谷焼</title>
         <description>焼き物にあまり詳しくない人でも九谷焼の名前は聞いたことがあるでしょう。
石川県の九谷焼は、前にお話しましたように、幻とも言われる古九谷の謎めいた魅力も相まって、日本の陶器の歴史や文化のなかでユニークな地位を確立しています。

九谷焼の特徴と言えば、重厚な色彩の絵付けでしょう。
時代により、あるいは陶工により、その手法は異なりますが、絵付けを特徴的に用いるという点は古九谷の時代から一貫して変わらないものです。
「九谷五彩（くたにごさい）」と呼ばれる赤・黄・緑・紫・紺青の５色を中心に描かれます。

実は九谷で焼かれたものではない、とも言われている古九谷ですが、どこで焼かれていたにしてもその油絵を思わせる色彩感覚が、九谷焼の基礎となったことは間違いなさそうです。
古九谷の絵画的な表現は、大胆な構図と自由な線描きを見せて力強く感じられます。
古九谷の再現を図った「再興九谷」と呼ばれるいくつかの窯では、古九谷様式をイメージしながらも独自の工夫を加え、人物主体の赤絵写し、赤絵の細密描画、金彩などの世界を開拓していきました。
やがてこれらの手法を統合し、洋絵の具による細密な絵柄に金彩をほどこし、華麗な彩色金襴の世界を完成させたのが、明治時代の九谷庄三（しょうざ）です。
これは海外への輸出品としての評価も高く、それ以後の九谷焼の主流となりました。
しかしあまりに華美すぎて生活工芸には向かないという意見もあり、今日では古九谷の重厚な作風も復活しつつあるようです。

日本の陶器の中ではメジャーな九谷焼ですが、時代とともに変化していった作風などを隈なく知るのはなかなか難しいかもしれません。
過去の名作から現代の新作までを幅広く展示、解説してある資料館もありますのでぜひ出かけてみてください。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>古九谷の謎</title>
         <description>日本の陶器で知っているものを挙げてみてください、と言われると、必ずどの人も思いつくであろう九谷焼。
その九谷焼を語る上で必ずといってよいほど付いてくるのが古九谷の謎についてです。
現在でも議論の渦中にあるという古九谷の謎とは一体どんな話なのでしょうか・・・

九谷焼の本拠地である石川県、その山中町九谷の地で色絵磁器を焼いていたという内容を記した文献があり、発掘調査もそれを裏付けたのですが、古九谷様式に合致するような出土品は少なかったようです。
逆に佐賀県の有田では古九谷様式に一致する陶器の破片が多く発見されているため、古九谷は実は有田町で焼かれたものではないのか、という説が主流となっているのです。

文献によると、明暦年間に加賀大聖寺藩主が後藤才次郎という人に命じて山中町九谷で磁器などを焼かせた、とのことです。
昭和４５年からの発掘調査により、江戸初期の登り窯の存在と、磁器が焼かれて色絵素地が作られていたことも確認できましたが、それが果たして古九谷なのかどうなのかは確認できなかったようです。
そのため、古九谷はすべて有田で焼かれていたとか、絵付けだけを九谷で行なったなど、さまざまな説が生まれたのです。
後藤才次郎が起こした窯は、４０年ほどして忽然と廃窯になってしまい、これも幻と呼ばれる所以なのでしょう。

日本の陶器にまつわる謎には興味深い話がいろいろとあります。
九谷焼の謎めいたスタート、さて古九谷の窯はいったいどこに・・・？</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>伊賀焼</title>
         <description>「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」という言葉を聞いたことがありますか？
焼き物に興味のある人であれば、どこかで聞いたことがあるかもしれませんね。
これは、伊賀焼と信楽焼の特徴を示したことばです。
日本の陶器にはたくさんのものがありますから、中には区別が難しいほど特徴が似ているものがあってもおかしくはありません。
伊賀焼も、日本六古窯のひとつである信楽焼と特徴がよく似ていて、違いと言えば作品に耳がついているかどうかという点だ、ということを伝えるための言葉が「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」なのです。

伊賀焼は釉薬を施さずに土味を生かした焼き締めの製法で作られ、どっしりとした重量感と硬さがあります。
信楽焼に比べ、幾分茶褐色の土肌をしており、器の表面に長石の粒が荒く噴出しているのが特徴のひとつです。
この手ざわりは、三郷山から出土する古琵琶湖層と呼ばれる地層の土にあり、良質の蛙目粘土が含まれているためです。
これらの陶土を、１４００度もの高温で焼き締めることで、ごつごつとした素朴な土肌があらわれるのです。

伊賀焼では、器の焼き肌に透明感のある青ガラスのような色が浮き出てくることがあります。
この神秘的な緑色はビードロ釉というもので、伊賀焼特有の自然釉です。
成型や装飾の面で言うと、伊賀焼は器にヘラで模様をつけたり口を歪めたり胴をへこませるなど、人工的に手を加えた造形美が中心となっています。
上記のように、耳がついているのもその一つと言えるでしょう。

日本の陶器には、使う陶土や焼成法など、伊賀焼と信楽焼のように似ているものがいくつかあります。
それらの違いを見極めるのも、焼き物の知識を深める上でおもしろいかもしれませんね。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>常滑焼</title>
         <description>愛知県常滑市へ出かけたことはありますか？
常滑と聞くと、人によっては「競艇？」と返事が返ってきたり、中部国際空港セントレアも有名ですね。
しかし常滑の町を歩くと至るところに陶器が見られ、かめや焼酎瓶を積み重ねた塀や土管を道に埋め込んであるなど、焼き物の町であることを誰もが実感することができます。
ここで焼かれる常滑焼は、日本の陶器の中で最古の焼き物と言われており、急須や湯のみ茶碗のほかに、厚手の壺や花器、植木鉢まで多種多様な日用雑貨が焼かれています。
また常滑焼の特徴として、土管や工業用タイルなどの製品が多いことも挙げられます。

常滑焼の肌合いにはすべすべとした手ざわりの急須類と、ざっくりとした土味を残す壺や花器などの２種類があります。
常滑焼の代表作と言われる「朱泥（しゅでい）」の茶褐色の急須は、陶土にベニガラという酸化鉄を混ぜて焼き締めた無釉陶器です。
日本の陶器の中でもこの赤い急須を見れば「常滑焼」と分かるほど特徴的なものですが、これはなめらかな手ざわりが魅力で、長く使い込むうちに艶が出てきます。
いっぽうのざっくりとした手ざわりの壺などは、常滑周辺から出土する鉄分を多く含んだ山土などで焼かれたものです。

常滑焼の器は焼き締めが中心で、大半のものは釉薬を掛けていません。
しかし中にはしぶい緑色をした釉薬が肩口から流れている壺などもあります。
これは燃料となる薪の灰が窯の中で溶け、焼き物に付着して釉薬へと変化したもので、自然釉と呼ばれます。
草木の灰を利用した灰釉も、自然釉と同じ風合いを引き出す効果があります。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>瀬戸焼と赤津焼</title>
         <description>愛知県の瀬戸市を誰もが知る焼き物の町として知らしめたのが、通称せとものと呼ばれる瀬戸焼です。
瀬戸焼にはこれと言った目立つ特徴が見つかりにくいのですが、逆に日本の陶器のスタイルを一度に楽しめるという点が特徴といえるのかもしれません。

瀬戸焼が、素朴な民芸調から優雅な染付けまで、日本の陶器を模倣できているのにはいくつかの要因があります。
そのひとつとされるのが、市内の採掘場から良質な陶土や陶石が豊富に出土していることです。
中でも、石英分を多く含んだ赤津蛙目粘土（あかづがいろめねんど）は陶器の主原料となり、可塑性の高い本山木節粘土は陶磁器の主原料となっています。

瀬戸焼の発祥の地とされている猿投山に抱かれた赤津町では、現在は磁器が中心となりつつある瀬戸焼の中で、「赤津焼」という国の伝統工芸品に指定されている陶器を主体に焼いています。
赤津焼には伝統的な釉薬が７種類ほどあり、中でも灰釉や古瀬戸釉（こぜとゆう）、御深井釉（おふけゆう）が特徴的な釉薬として挙げられます。
灰釉は草木の灰を用いたもので、焼き上げると緑色の美しいビードロ状になり、平安時代から受け継がれてきた古典的な釉薬です。
古瀬戸釉は茶陶などに多く見られ、鉄釉の一種で木灰に砕いた鬼板粘土を混ぜたもので、釉薬をかけた黒色の表面に茶褐色の斑模様が出るのが特徴です。
そして御深井釉は、灰釉の一種で青みを帯びた美しい色を生み出しています。
ほかに、志野や織部、黄瀬戸などの釉薬も見られますが、これは隣接する美濃焼の影響を受けたものだと思われます。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>黄瀬戸と瀬戸黒</title>
         <description>焼き物の中に「黄瀬戸」と「瀬戸黒」がありますが、この名前を聞くと「瀬戸焼のひとつかな」と思う人も多いかと思います。
しかし黄瀬戸も瀬戸黒も、瀬戸焼と混合されやすいのですが、実は美濃焼を代表するものなのです。
日本の陶器にはたくさんの種類とそれぞれの歴史がありますが、瀬戸焼は日本で一番有名な焼き物と言われ、茶陶の多くが瀬戸で焼かれていたと考えられていた時代もありました。
美濃焼はその影に隠れて発展していった焼き物と言えます。

さて美濃焼の代表である黄瀬戸と瀬戸黒ですが、外見は黄色と黒で対照的な色合いになっています。
果たしてこの二つに共通点はあるのだろうか、と疑問に思ってしまいますが、どちらも釉薬が変化して生まれた焼き物です。

黄瀬戸は名前のとおり淡い黄色で器全体が包まれており、伝統的な古瀬戸の流れをくむ焼き物です。
１２００℃近い高温で焼くことにより鉄釉の一種が変化して淡い黄色が出ます。
中には、淡い黄色の器に、鉄釉などで茶色や緑色の斑文のアクセントをつけたものもあります。
黄瀬戸は器の焼き具合によって名称がいろいろ変化するのも特徴です。
よく焼けて光沢があるものは「菊皿手」「ぐい呑み手」と呼ばれ、反対に焼きが甘くじっとりとした肌合いのものは「油揚手」「あやめ手」と呼ばれています。

瀬戸黒は、漆黒の釉薬で器全体がすっぽりと包まれており、硬くどっしりとした質感を感じさせます。
これは焼成中の窯から引き出す技法によって生まれたもので、瀬戸黒の独特な漆黒は、器に施された鉄釉が急に冷やされて変化したものです。
このため、別名「引出黒」とも呼ばれています。
数ある日本の陶器の中でも、漆黒の瀬戸黒はその特徴的な外見で、すぐに判別がつくことでしょう。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>美濃焼の歴史</title>
         <description>今や日本の陶器の中でも知らない人がいないくらい名の知れた美濃焼。
その歴史はとても古く、平安時代には灰釉陶器が焼かれ、一般民衆のための無釉の山茶碗なども焼かれていたようです。
室町時代には本格的な釉薬を施した陶器が焼かれ、最初は鉄釉や灰釉などの初歩的な施釉陶器だけでしたが、次第に天目釉や黄瀬戸の茶碗、片口などの食器類が焼かれるようになりました。
室町時代の末期には、地元の土を使っての手ろくろ成形や、木ベラでの装飾技法も発達し、やわらかな土味を生かした美濃焼の特徴があらわれるようになりました。

桃山時代に入ると、黄瀬戸や瀬戸黒、志野といった焼き物が次々と生まれ、茶陶文化が一気に花を開かせました。
この茶陶文化が発展したひとつの要因として、千利休の侘び茶の世界が確立され、茶会席が流行したことが挙げられます。
このブームに乗って、美濃の茶陶が古田織部などの茶人に紹介され、一躍有名になったと言われます。

昔は茶陶の歴史に大きな影響を与えた志野や織部を生んだ美濃焼ですが、時代の流れとともに茶陶から日常雑貨に移行されてきました。
そして後に陶器に代わって磁器の製品が美濃焼の主力商品となっていったのです。
現在では和食器中心の陶磁器製品だけでなく、マグカップやティーポットなどの洋食器や、工業用タイルなどの生産も盛んに行なわれています。
美濃焼が焼かれている岐阜県多治見市周辺は、現在、国内の和洋食器の半分以上が生産される一大窯業地帯となっています。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>無名異焼</title>
         <description>使うと健康になる器がある！？
日本の陶器にはいろいろな特徴を持った焼き物がありますが、実はその器を使ってお茶を飲むと病気が予防できると言われている焼き物があるのです。
新潟県の無名異焼（むみょういやき）がその焼き物です。

無名異焼に使われる陶土は粒子がとても細かく、高温で焼いたときの収縮率も高いので、その性質を利用して釉薬をかけずに焼く「焼き締め」が一般的になっています。
また、無名異焼には普通の陶器に見られるようなざらつきが少なく、艶やかな光沢が見られるのですが、それは石や鉄ベラなどを使って成形後と焼成後に２回の研磨作業を行なうことによります。
使えば使うほどに艶が増してくるのもこの焼き物の魅力と言えます。
日本の陶器の中では珍しく、叩くと澄んだ金属音を発するのも無名異焼の特徴のひとつです。

そしてこの器を使うと病気の予防になる、というその訳ですが、これは陶土に使われる鉄分を豊富に含んだ赤褐色の粘土にあります。
これは昔から止血などの薬用にもなっていた土で、この土を混ぜて作られた湯飲み茶碗や急須でお茶を淹れて飲めば、中風や胃腸の病気の予防になると言われています。
佐渡金山から生まれた土が薬から陶土へ・・・人々への恩恵は金だけではなかったようですね。

新潟県の相川町には、伊藤赤水や三浦常山など無名異焼の名工たちの作品が見られる展示館や、陶芸体験のできる窯もあります。
光沢のある独特の赤褐色をした無名異焼を見に出かけてみてはいかがでしょう。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>釉薬（ゆうやく・うわぐすり）</title>
         <description>ここまでいくつかの焼き物について紹介をしてきましたが、日本の陶器にはそれぞれの土の違いや工法、釉薬の違いによって特徴が異なってくることがわかりました。

そこで、ここでは釉薬（ゆうやく・うわぐすり）について少しお話をしたいと思います。

日本の陶器で有名な町を訪れて、焼き物のお店に入って器を手にとってみても、例えば緑色のとろりとした色がかかっていたり、真っ黒だったり、図柄があったり、と茶碗ひとつをとってもどれも同じではありません。

これは形もさることながら、かけてある釉薬が異なるからです。

釉薬とは焼き物にかけるうわぐすりのことで、陶磁器の表面にくっつけたガラス質の皮膜のことを言います。
この釉薬をかけて焼くことで吸水性をなくすと同時に装飾性を与えます。
釉薬の成分はガラスの成分の一つである長石（ちょうせき）、アルカリ性溶液、浸透性のないアルミニウムなどが含まれています。

釉薬にもいろいろあり、色での分類で言うと、緑釉（りょくゆう）、黄釉（おうゆう）、褐釉（かつゆう）、黒褐釉（こっかつゆう）などがあります。
緑釉は鉛緑釉と銅緑釉があり、成分は違いますがどちらも緑系の色を示します。
黄釉は灰釉（かいゆう）という灰を原料とした釉薬を高温で溶かすと灰の成分が黄色になるという方法です。
茶色系の褐釉は、鉄釉という鉄分から色をとる釉薬から取り出したりします。
例えば、「緑がかっているから織部かな」と、織部の特徴が緑釉にあるとこなどを知ると、また焼き物を見るのも楽しくなってくるでしょう。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>月夜野焼</title>
         <description>みなさんは月夜野焼（つきよのやき）という焼き物の名前を聞いたことがありますか？
とても美しい名前に魅かれて調べてみると、日本の陶器の中でも月夜野焼はまだまだ歴史が新しく、昭和５０年からと言われています。
当時、群馬県利根郡月夜野町を散策していた陶芸家の福田祐太朗が偶然にも上越新幹線のトンネル工事現場から排出される土の中に焼き物に適した土を発見したのが始まりだそうです。
福田氏のふるさとである有田焼の技法を参考にして、その後の研究を重ねて月夜野焼を完成させました。
これが群馬県最初の本格的な焼き物である月夜野焼です。

月夜野焼では、マグカップや飾り皿、一輪差しなどの日用雑貨から芸術性の高いオブジェまで幅広く焼かれています。
独特の滑らかな肌ざわりは、新幹線のトンネル工事で排出された磁器質流紋岩（じきしつりゅうもんがん）などを混ぜた月夜野陶土によるものです。
また月夜野焼をいろどる情熱的な赤やしぶい緑色は、銅を基本にした釉薬・銅紅釉（どうこうゆう）によるものです。
釉薬の特徴として、燃え立つ炎のような真っ赤な辰砂釉（しんしゃゆう）、赤と緑の微妙なコントラストが孔雀の羽根のように美しい孔雀釉、光沢を消して緑青のしぶい色合いをかもし出す青銅釉などがあります。

数ある日本の陶器の中でも、新幹線のトンネル工事から生まれた焼き物というユニークなものは他にはないでしょう。
現在、この地域では陶芸教室なども開かれ、隠れた観光スポットにもなっているようです。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>笠間焼</title>
         <description>日本の陶器の中でも名前の知れた益子焼や平清水焼ですが、これらの焼き物の陶祖が実は笠間焼の技術を学んでいたそうです。
つまり笠間焼は益子焼よりも古い歴史を誇っているのです。
江戸時代の中ごろに、信楽の陶工であった長右衛門（ちょうえもん）が茨城県のこの地を訪れ、久野半右衛門（くのはんえもん）と共同で窯を開いたのが笠間焼の始まりと言われます。

笠間焼の特徴は、と聞かれると「特徴が無いのが特徴」と答える人も多いと思いますが、笠間焼では民芸風の徳利から斬新な花器まで、個性豊かな作品が魅力となっています。
焼かれる器は主に安価で丈夫な水瓶やすり鉢、徳利など庶民の生活に密着したものが中心となっていますが、最近では斬新なデザインがほどこされたコーヒーカップや絵皿など、多種多様にわたって焼かれています。
最近の傾向としては、若い陶芸家の手によって、芸術的なオブジェや陶壁なども焼かれているようです。

笠間焼のどっしりとした手ざわりは、関東ローム層から出土する笠間粘土や花崗岩の風化によってできた鉄分を多く含む蛙目粘土（がいろめねんど）と呼ばれる陶土によるものです。
その陶土を丹念に練り、ろくろを回し手びねりという技法を使って、ぽっちゃりとした丸みを持たせ手にぬくもりを感じられる器が生み出されます。
笠間焼で主に使われる釉薬には緑釉、柿釉、飴釉、黒釉、糠白釉があり、これらの釉薬の持ち味を引き出すくすり掛けとして、流し掛けや浸し掛けなどがあります。
これらの技法を駆使して、伝統的な壺からクラフト調のカップ、織部風の皿まで、さまざまな個性にあふれた笠間焼が誕生するのです。
日本の陶器の特徴を集約したのが笠間焼だ、とも言えるかもしれません。</description>
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         <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 23:29:14 +0900</pubDate>
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